時間と体力と周辺環境の都合により、今回は少数の画像のみでのご報告です。
和歌山の港町、その静かな住宅街の中で異彩を放つ緑と赤のコントラスト。
廃アパート「岬荘」は、もっふもふの緑に包まれながらひっそりと佇んでいました。
5月でこの緑の多さだったので、夏場はもう四角い森みたいになるんじゃないでしょうか。

そこかしこに生活感が溢れていて、かつて暮らしていた人々の活気が目に浮かぶようでした。
タイル地の洗い場なんて、今ではまったく見かけませんよね。
このひとつひとつの葉がああなってそうなってこんなになっちゃうんですね。
初夏の木々の生命力に圧倒されましたです。

長期間潮風にさらされた金具が分厚いサビに包まれています。
緑好きにはたまらない窓からの眺めです。

ドアノブを包むサビが物語る年月の長さに、しばし見入ってしまいました。
壁の落書きです。かなり綺麗だったので、廃墟になった後に書かれたものかもしれません。
それにしてもある意味シニカルなこと吟じちゃってますね。お洒落です。
型ガラス越しに覗く緑に癒やされました。
ガラスは1950年代に生産されていた型版ガラスで、「ダイヤ」という品名のものだそうです。最近はこういうガラスはあまりみかけないですよね。当時、型版ガラスは流行して色々な柄が多く生産されていましたが、今では生産中止になっているものも多いのだそうです。
この場所に流れた年月を感じつつ、あふれる緑に癒やされたひとときでした。
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今回のベストショット。熟成されすぎてタイトル不明のビデオのパッケージのおねえさん。

海に近いとある府道沿いのカーブを超えると目に飛び込んでくる、青い屋根が目印のおとなのゆうえんちです。若さと時間を持て余した少年少女が好みそうないわくありげな噂がたち、現地の若者の中では人気の肝試しスポットになっています。内部は一部放火もされた痕跡もあり、かなり荒らされていました。

色あせた看板は、潮風の影響もあってかサビが目立ちます。こういう系統の建物がやたら派手なのには理由があるのです。
ラブホテルやモーテルは、旅館業法上は旅館やホテルと同じです。2011年に偽装ホテルの乱立による風営法の改正で話題になりましたが、とにかく顧客に「そういうところ」であることをしっかりアピールして「そういう」目的の集客をしっかり取る必要があるので必然的に派手になっていったのだそうです。
この「ぺ」のデザインも、そんな涙ぐましい営業努力の結果なのです。

自然に壊れたのではなく、明らかに荒らされた痕跡がありました。
発酵しかけてるスニーカー。

今ではあまり見かけない、不規則な流れ柄の型ガラス。

ほんの少しの隙間さえあれば、彼らは侵入してきます。
友ヶ島帰りの体力では静止画を撮るので精一杯だったのが残念です。荒らされ燃やされ、あまり雰囲気のいい場所ではありませんでしたが、最後にレアなすりガラスといい感じの緑に出会えました。

発酵しかけてるスニーカー。

今ではあまり見かけない、不規則な流れ柄の型ガラス。

ほんの少しの隙間さえあれば、彼らは侵入してきます。

友ヶ島帰りの体力では静止画を撮るので精一杯だったのが残念です。荒らされ燃やされ、あまり雰囲気のいい場所ではありませんでしたが、最後にレアなすりガラスといい感じの緑に出会えました。
廃れた家屋に進入する木々も、荒らしまわる若者たちも、もとのかたちを失わせ、分解して土に還すという役割では同じなのかもしれません。
ホテル飯盛山荘は和歌山の飯盛山の奥深くにあったホテルで、「I山荘」「IM山荘」などと呼ばれることもあります。大きな入浴施設があり、薬草かまぶろ温泉などが名物だったそうです。
部屋数がかなり多かったですが、どの部屋もドアが蹴破られ荒らされていました。
窓から海を望むことができたので、在りし日には穏やかな時間を過ごせたのでしょう。
2010年頃に廃業したとのことで、まだ7年近くしか経っていないのにこの荒れようと朽ちようは凄まじい勢いだと思います。この広い食堂が親子連れで賑わっていた様が想像できます。
動くものが何一つ無い空間で、ただカーテンが風に揺られていました。
埃でくすんだガラスの灰皿。
和歌山は緑の生命力が半端なく強い気がします。
こうやって、日々静かにまったりと建物に侵入していくんでしょうね。
サトウ
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和歌山の山奥に廃れた別荘地群があります。その中でもひときわ目立つ、折れた赤い十字架の教会が飯盛山祈祷院です。
室内正面に飾られていた十字架は見当たらず、誰かが持ち去ってしまったようです。
賛美歌が弾かれていたはずのピアノは、祈りに訪れる人の姿が消えた今でもまだちゃんと音が鳴ります。
壇上には賛美歌の本が乗せられていました。
かつてここで祈りを捧げていた人たちの心が今もなお安らかであることを祈りつつ、教会を後にします。
日本における重力式コンクリートダムの草分けだった志津川ダム(別名:大峰ダム)を擁した志津川発電所。
大正時代に関西初の大出力水力発電所として造られた施設は、イギリス積みのレンガ造りで今は一面が蔦で覆われています。
大正13年(1924)3月に運用が開始されましたが、多発する水害に対応するために新しく天ヶ瀬ダムの建設が決まりました。
それにともない、約40年の役目を終えて昭和39年頃(1964)に廃止されます。
広大な範囲に遺構があり、全てみることはできませんでした。
この他にも、川付近には旧ダムの取水口や制水門の跡などが残っていて、それらは川沿いから見ることもできるそうです。
それらを眺めつつ、鳳凰湖の水底に眠る大峯ダムに思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
サトウ